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    今までの転職履歴

    作成日:2018年8月26日
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    カテゴリー:SE残酷物語, 仕事での出来事, 転職
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    今までの私の転職履歴

    京都の私大理工学部電子情報学科を卒業後、地元の京都市に本社がある機械メーカーへ入社
    事務機器や工作機械などを作っているメーカーであった。
    事務機器部門か情報管理部への配属を希望していたが、
    事務機器の工場がある大分のそこの生産技術部へ配属されることに。。。
    はぁ?大分?しかも生産技術?




    1.社会人になっての最初の仕事

    てなことで京都での勤務を考えていたのにいきなり大分のすっごい田舎に単身で赴くことになった。

    ちなみに生産技術ってのは工場の中での生産する技術、
    つまり組付け用の冶具を作ったり生産時の試験用の機器を作ったり
    もっと良い効率のいい組み立て方法がないか考え実行することで
    私は新機種の組み立て順序を考えそれを開発部にフィードバックしたりするのが仕事だった。
    しかしまぁほとんどは新部品の試験なんかが主な仕事だった。
    電子部品関係が担当だったのだが、金属部品や樹脂部品なんかの試験もしたりしていた。

    ここで後の「なんでもやる!」というフルスタックな行動の基本ができた。

    だがそこも2年も経たずに工場が縮小になり部署が無くなり私は京都に帰ることになった。

    そして前から希望していた情報管理部門に配属になった。

    そこでは生産管理システムを中心に社内のシステムを開発/運用しており
    ちょうど汎用機中心だったシステムをUNIXやWindowsのシステムに置換えているところで
    私はプログラミングやPCのセットアップなどいろいろこなしていた。
    社内の情報管理部門だったのが子会社化して外需受託もやるようになり
    私は主に外部受諾のプログラミングをすることが多かった。
    提案や設計からプログラミング、運用はもちろん、ネットの構築、サーバー構築、講習会の講師などなど
    一人でなんでもやった。
    炎上物件もなんども経験した。
    エンジニアとしての基本はこの時代に取得した。
    フルスタック・エンジニアという言葉は当時はまだなかったはずだが
    「なんでもやってみせるエンジニア」を自称していた。

    だが、社会全体が不景気になり会社も希望退職を募るほどになっていたので
    私はここで転職をすることにした。
    ・・・いろいろきつくて血尿がでるほど病んでたし。


    2.初めての転職/京都大学の教授の下で働く

    たしかリクナビ経由だったと思う。
    スカウトのようなかたちで声がかかり
    京都大学の数理解析研究所の大学教授が個人的に立ち上げた研究団体で働くことになった。
    ここでネットで複数人で共通作業を行うソフトの研究の仕事をすることになった。
    形はとある人材派遣会社に所属しそこから教授のところに派遣という商流だった。

    だが、その派遣会社の担当者が教授を怒らせてしまった。
    「大学教授の言うことは適当に聞いておけばよい」てな意味合いのことを書いたメールが
    その教授の目に触れてしまったそうな。
    そらあかんわ。。。

    で私はその派遣会社から別のその教授が設立に関係したベンチャー企業育成を目的とした第三セクター的な会社に移動となった。たった数か月で!
    いわゆる引抜き行為になり大きなマナー違反なんですがね!

    現場は同じだが途中で派遣元会社が変わったのでここで二度目の転職をしたことになる。

    研究や開発だけではなくネットワーク構築や採用の面接官、展示会のアテンドなどいろいろやった。
    WBSを呼んで特集してもらったりもした。

    楽しかったが、いろいろあってウツ病が顕著化して契約期間を目前に退職することになった。


    3.三度目の転職/そして東京へ

    数か月ほどの療養期間を経て京都市内のとあるベンチャー企業に就職した。
    社長が京都大学の学生で(5,6年ほど在籍して籍だけ残してる状態で当時はまったく通っていなかった)
    他にも主要メンバーが学生というのが多かった。
    社長がイケメンで話題性があった企業だった。
    当時割と話題にはなっていた。
    マザーズ上場とともに本社を東京に移すことになり私もいっしょに東京へこのとき出てきた。
    だが上場したあたりからいろいろおかしくなり技術より企画や営業に重点が置かれるようになり
    いろいろと空回りして経営不振に陥った。

    それで大量の解雇を行うことになり私も解雇されることになった。
    東京に連れてこられて放逐されたわけですね。

    ちなみにこの会社は現在はゲームの開発に転身してそこそこ成功している。

    4.四度目の転職/そしてすぐに倒れて退職

    慌てて転職再就職したが、焦ったのが悪かったのか自分とあまり合わない会社だった。
    しかも前の会社を解雇になった精神的ショックを引きずっていた状態で生活態度もよくなかった。
    けっきょく2週間ほどで急性すい臓炎になり二週間ほど入院した。
    しかしメンタルのほうがうまく復帰せず一か月で切られることになった。

    そのときの会社の人の世話でしばらく生活保護を受けて療養することになった。


    5.五度目の転職/いきなりハード

    結局2年半生活保護ですごした後、どうにかあるIT企業に再就職できた。
    しかし、社会復帰最初の仕事がいきなり大炎上のプロジェクトだった。
    技術部が2億円でも難しいと見積もった案件を営業がたった五千万円で受注してきてしまい、その営業は首に。
    マネージャーは鬱病になり会社に来なくなりそのまま退職。
    新しく来たマネージャーは技術がまったくわからない人で客をおこらせっぱなし
    協力会社の技術者はほぼJava初心者
    言うことだけ立派で行動が伴わない一次受け主幹会社を怒らせる不良社員
    月平均稼働が300時間という状態が半年以上。
    その状態でついこの前まで生活保護してて二年半もブランクがある私が唯一のプロパー社員(でも実は契約社員)

    ここで過労で倒れて二週間ほど入院するハメに。

    どうにかハードな案件を終わらせることに成功し、
    ほかに企業サイトの作成やら外部にSESで派遣やら
    南極にもっていくPCを100台ほどセットアップとかとかとかいくつかの仕事をしていたが、
    あまりにも安い給料にさすがに耐えられなくなり転職を決めた。


    6.六度目の転職/横領持逃げ

    都内のちっこい会社に転職した。
    普通にSESやら派遣でいろいろな現場に行って働いていた。
    途中までは割と平和?だったのだが、、、
    会長が会社の金で六本木にマンションを買い
    そのせいか色々なところに支払いが滞ることになり
    役員が会長を追出したり裁判したりでいろい混沌となり会社としてやっていけなくなった。

    その当時社長の別に資本関係もなにもないが知合いが経営している会社に社員が移ることになり会社は実質たたむことになった。
    わたしもその流れにのって転職した。


    7.もう最後?七度目の転職/フリーランスへ

    移った会社は自分のことは非常に高く評価はしてくれていたのだが、
    営業力が弱い、というか自分の得意とする分野にあまりアンテナがなく
    希望するような仕事になかなかつけなかった。
    この状態では待機状態ばかりが続くし前の会社との給料システムの違いで給料が下がる可能性があったので
    ここで思い切って自由になることにした。
    つまりフリーランスだ。



    ということでいま現在に至る。

    炎上した案件の話などは別途書いていきたい。


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